医師の傍ら、クレー射撃の選手として全国大会での活躍に加え、ロサンゼルス、ソウル五輪には、チームドクターとして、またバルセロナ五輪にはライフル射撃選手団総監督として参加した。昭和56年から県体育協会の理事となり、自ら委員長としてスポーツ医事・科学委員会を立ち上げ、医科学の面からスポーツの振興を図った。また、メンタルトレーニングにおいては、日本の第一人者として活躍した。さらに、県体操協会、県ライフル射撃協会、千葉市体育協会の役員を歴任され、後進の指導に尽力した。